![]() 当コラムは、『読んで得する翻訳情報マガジン』に掲載された記事原稿に加筆補正したものです。 |
|||||||||
| ■ 斎藤伝説 | |||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
|
略伝に拠ると、斎藤秀三郎は相当痛快な快男子だったようです。有名な“斎藤伝説”をいくつかご紹介しましょう。 通常、英語を「外国語」として学習する者にとって、ネイティブに対するコンプレックスを完全に拭い去るのは難しいものです。いくら外国語を学んだところで、所詮ネイティブには敵わないという、ある種の諦念が付きまといます。 ところが斎藤は、英語が先進国文化として仰がれていた時代にあってシェイクスピア劇を演じるイギリス人の役者に向かって「てめえたちの英語はなっちゃいねえ」と英語で一喝したとか。生来、斎藤は耳がよく、発音がよかったと言われています。 第二高等学校の助教授を辞めた時のエピソードがまた痛快です。当時、斎藤が教えていた『人間論』(イギリス詩人 A.ポウプ著 1734年)が生徒には難しすぎるというクレームをアメリカ人主任から受けたところ、「米人には難しくて解らないかも知れぬが、日本人には解る」と毅然として言い放ったんだとか。格好イイ。 また、教え子に対しては「西洋人のそばへ行つて“Sir, ...”なんて質問なんかして居るやうぢや駄目だ、『おい君』といふやうな対等の位置に安んじ得るやうに早く成つて呉れないぢや困るよ」(『英語の日本』第九巻第一七号)とこぼしたそうです。 生涯一度も海外に出ることのなかった斎藤ですが、これらの武勇伝は外国語としての英語を究めた者の自信からくるのでしょう。読書に英語の勉強時間のほとんどを費やし、工部大学校在学中、僅か3年の間に図書館にあった英書をすべて読破したという強者・斎藤ならではの豪快なエピソードですね。 そしてもう一つ。欧米へのキャッチアップが声高に叫ばれた時代背景にも関わらず、日本人は西洋人と対等なんだという強い自意識を感じます。日本民族・文化に対するプライドの表れでしょうか。 斎藤英学の中核を成す概念に「イディオモロジー(idiomology)」があります。簡単に言うと「日英の熟語や慣用表現の比較研究」なんだそうですが、斎藤兆史氏(東京大学大学院助教授)は、その著書の中で次のように解釈しています。 「その根底にあるのは、お日さまの下で同じように空気を吸って生きている人間が使う道具である以上、日本語にも英語にもかならず同じような慣用表現が存在するはずだという認識である」(『英語達人列伝』中央公論新社刊) せんり〔千里〕
Love laughs at distance(愛は距離を笑う)という英語の慣用表現に対して、「惚れて通えば千里も一里」という日本の諺を対置する斎藤の語感のよさ、語学的センスは確かに抜群ですね。 東南アジアの英語圏の人たちは、自国の文化や風土を盛り込んだ自己流の英語を自信を持って使っています。近年、日本でも「英語の日本語化」はあって然るべきで、日本人も日本人らしい英語(Japanglish)を積極的に話し、世界に向けて英語で日本文化の情報を発信すべきだという意見があります。これはまさに『斎藤和英大辞典』の序文に表されたメッセージそのもの。日本語が変にカタカナ英語化してしまった昨今、却って斎藤の思想は新鮮であり、大事な問題を提起しているような気がしてなりません。 そして「翻訳(業)」において、斎藤のイディオモロジー思想はことさら重要な意味を持つのではないでしょうか。翻訳者は単なる「仲介人」に非ず、美しき良き日本語をバックボーンとして異文化コミュニケーションの旗手たれ、と斎藤ならばきっと・・・。 | |||||||||
| 初出 2001.12.12 (竹) | |||||||||
詳しい商品案内はこちら |
|||||||||
| TranRadar電子辞書SHOP | |||||||||