![]() 当コラムは、『読んで得する翻訳情報マガジン』に掲載された記事原稿に加筆補正したものです。 |
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| ■ 斎藤秀三郎略伝 | |
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「斎藤和英大辞典」を作り上げた斎藤秀三郎とは、一体どのような人物なのでしょうか。 斎藤は、慶応2年(1866年)仙台藩の重臣斎藤永頼の長男として生まれ、6歳より英語学校・辛未館で学びます。明治7年、宮城外国語学校(同年、宮城英語学校に改称)に入学。東京大学予備門を経て、明治13年、工部大学校に入り、英語教師ディクソンに師事します。大英百科字典(ブリタニカ百科事典)を二度も読破する程の勉強量を誇った斎藤ですが、その放蕩ぶりも相当なものだったそうで、卒業直前に放校処分となっています。 その後、英語塾や中学校講師を経て、明治29年、神田に正則英語学校(現・正則学園高等学校)を創設。明治37年には東京帝大文科大学に出講しています。斎藤流の“英語慣用語法学”、所謂イディオモロジー(idiomology)を展開、英語学の発展に貢献した彼は、明治英学の三大家の一人に数えられています。 ちなみに妹のお冬(冬子)は北村透谷の恋人だったそうです。また、小沢征爾の師匠でもある指揮者・チェリストの斎藤秀雄は、彼の息子さん(二男)なんですね。 さて、昭和3年(1928年)斎藤秀三郎は、見出し語5万、例文12万、総4,640頁という圧倒的なボリュームの和英辞典を独力で創り上げました。「英米人の文章の引用は、和英辞典にはのせるべきではない」と考えた彼は、この辞典に個人の主観、嗜好を大いに取り入れ、和歌、俳句、都々逸、漢詩などの英訳を随所にちりばめました。日本語特有の用例を極めて多く採用した点が大変ユニークであり、今日でも英語学史上に残る名著と言われる所以です。 せんり〔千里〕 日本語を日本語らしい英語に表現した斎藤和英大辞典。つらつらと眺めても十分楽しめる稀有な一冊です。 | |
| 初出 2001.9.27 (竹) | |
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